ヒアルロン酸注入の問題点
― 誰が「もう十分です」と言うべきなのか ―
カテゴリー:美容医療の考え方
はじめに
ヒアルロン酸注入は、もともと「足りないものを補う」ための医療でした。
しかし現在の美容医療では、
「足りているものに、さらに足す医療」へと変質してきているように感じます。
そして今、現場で静かに起きているのが次のような現象です。
明らかに入れすぎているのに、
本人も、周囲も、それを「不自然だ」と感じなくなっている。
これは単なる美的センスの問題ではありません。
心理学的に説明できる「認知のズレ」であり、医師が目を背けてはいけない問題です。
ヒアルロン酸は「感覚」を変えるのか?
結論から言えば、
ヒアルロン酸自体が感覚を狂わせる薬剤である、という科学的証拠はありません。
しかし、心理学の分野では、
「繰り返される外見変化が、美的評価の基準を変える」ことが示唆されています。
見慣れたものを「自然」と感じる脳
心理学には「馴化(Habituation)」という概念があります。
- 繰り返し見る刺激
- 日常的に接する外見
- 自分自身の顔の変化
人はこれらに対して、
違和感や不自然さを次第に感じなくなります。
ヒアルロン酸注入でも同じことが起こります。
ヒアルロン酸を入れる → 変化した顔を毎日見る → それが「自分の基準」になる
結果として、以前なら不自然だった状態を「普通」と感じるようになります。
「オバQ現象」は本当に起きるのか?
「オバQのような顔でも、美しいと感じてしまうのか?」
この問いに対して、直接それを検証した論文は存在しません。
しかし、同じ方向性を示す研究は複数存在します。
美容医療後の自己評価の変化
心理学・社会心理学の研究では、
- 美容処置後、人は自分の外見をより肯定的に評価しやすくなる
- 「自分が選択した行為」を正当化する認知バイアスが働く
- 客観評価と主観評価が乖離しやすくなる
これは「自己奉仕バイアス」「認知的不協和の低減」と呼ばれる、
人間にとって非常に自然な心理反応です。
つまり、
- 第三者から見ると「入れすぎ」
- 本人から見ると「まだ足りない」
というズレは、意志の弱さでも、美的センスの欠如でもありません。
脳の仕組みとして、十分に起こり得る現象です。
問題はヒアルロン酸そのものではない
誤解してはいけません。
ヒアルロン酸は、
- 適切な量
- 適切な部位
- 適切な目的
で使用すれば、非常に優れた医療素材です。
問題は、
「止める役割が曖昧になっていること」です。
誰がブレーキをかけるべきなのか?
患者本人ではない
心理学的に見て、患者本人にブレーキ役を任せるのは酷です。
- すでに変化に慣れている
- 自己評価は主観的に歪みやすい
- SNSや周囲の成功例が判断を後押しする
マーケットでもない
美容医療市場は、
- 即効性
- 分かりやすい変化
- ビフォーアフター映え
を評価します。
市場原理は「止める」より「続ける」方向に働きます。
ブレーキをかけるべきは「医師」である
だからこそ、
最後のブレーキは医師しかいません。
それは技術の問題ではなく、態度と覚悟の問題です。
- 「これ以上は不自然になります」
- 「今は入れない方がいいです」
- 「もう十分整っています」
これを言うことは、
- 売上を減らすかもしれない
- 患者に嫌われるかもしれない
- 他院に流れるかもしれない
それでもなお、
医師が言わなければならない言葉があります。
美容医療は「足す医療」ではない
本来の美容医療は、
若返らせることではなく、
崩さないこと
ヒアルロン酸は未来の顔を作る医療ではありません。
未来を壊さないための医療であるべきです。
おわりに
ヒアルロン酸注入の問題点は、物質そのものではありません。
- 感覚が変わること
- 止める人がいないこと
- 「NO」と言える医師が減っていること
この3つが重なったとき、美容医療は静かに歪んでいきます。
だから私は、勇気を持って言いたい。
「もう十分です」と言える医師でありたい。
それこそが、これからの美容医療に求められる
本当の専門性だと信じています。
ヒアルロン酸注入をめぐる三者の立場
| 立場 | 見えているもの | 起こりやすい判断の歪み | 限界・問題点 |
|---|---|---|---|
| 患者 | ・鏡に映る現在の自分 ・過去より良くなったという実感 ・SNSや症例写真との比較 | ・変化への馴化(慣れ) ・自己肯定バイアス ・「まだ足りない」という感覚 | ・客観評価が困難 ・止め時を自分で判断できない ・医師に委ねざるを得ない |
| マーケット (美容医療業界) | ・分かりやすい変化 ・即効性 ・ビフォーアフター | ・「変化=成功」という評価軸 ・足すほど価値があるという錯覚 | ・長期的な顔の崩れを評価しない ・止めるインセンティブがない |
| 医師 | ・解剖学的構造 ・加齢変化の予測 ・短期と長期のリスク | ・患者満足を優先しすぎる危険 ・経営的プレッシャー | ・「NO」と言わなければ歯止めがない ・倫理と売上の葛藤 |
誰がブレーキをかけるべきなのか
この表から分かる通り、
患者にも、マーケットにも「止める役割」は構造的に存在しません。
唯一、
短期の満足と長期の結果を同時に見渡せる立場にあるのが医師です。
だからこそ、美容医療におけるブレーキは、
医師が意識的に担わなければならない役割なのです。
Reference(参照文献・参考資料)
- Cazzato, V. et al.
“‘Magic cosmetic fillers’: appearance-enhancement effects on self-face recognition”
Frontiers in Psychology, 2024.
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11175468/ - Dayan, S. H. et al.
“Social perception of facial aesthetics after minimally invasive cosmetic procedures”
Aesthetic Surgery Journal, 2019.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30520214/ - Cazzato, V. et al.
“Facial aesthetic minimally invasive procedures: a social-psychological approach”
Journal of Plastic, Reconstructive & Aesthetic Surgery, 2023.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36852750/ - Clifford, C. W. G., & Rhodes, G.
“Visual adaptation and face perception”
Nature Reviews Neuroscience, 2005.
(視覚的馴化・見慣れによる評価変化の基礎理論) - Festinger, L.
“A Theory of Cognitive Dissonance”
Stanford University Press, 1957.
(自己選択行動を正当化する認知的不協和理論) - 日本心理学会 編
「社会的評価と美的判断に関する心理学的研究」
J-STAGE 掲載論文より - 高須 幹弥 医師(高須クリニック)
「ヒアルロン酸注射の名医でもオーバーフィラーになることがある」
YouTube, 2021年4月7日公開
https://youtu.be/yM0PIypYTqE
※本記事は、上記文献および公開情報をもとに、美容医療における意思決定と心理的要因について一般的な考察を行ったものであり、特定の治療や医師を批判・否定する目的のものではありません。


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